アレクサンドル・イヴァーノヴィチ
Александр Иванович
トヴェーリ大公 великий князь Тверской (1425)
生:1379頃
没:1425.10.25
父:トヴェーリ大公イヴァン・ミハイロヴィチ (トヴェーリ大公ミハイール・アレクサンドロヴィチ)
母:マリア(ミクロウザ?) (リトアニア大公ケーストゥティス)
結婚:1397
& ? (モローガ公フョードル・ミハイロヴィチ)
子:
名 | 生没年 | ||
---|---|---|---|
モローガ公女と | |||
1 | ユーリイ | -1426 | トヴェーリ |
2 | ボリース | -1461 | トヴェーリ |
3 | ヤロスラーフ | -1435 | ゴロデーツ |
第16世代。モノマーシチ(トヴェーリ系)。
年代記への初出は1390年。
1399年、祖父ミハイール・アレクサンドロヴィチが死去。父イヴァン・ミハイロヴィチがトヴェーリ大公位を継ぐ。
トヴェーリでは代々トヴェーリ大公位を巡る内紛が続いており、父も、その弟のカーシン公ヴァシーリイ・ミハイロヴィチ、従兄弟のホルム公ユーリイ & イヴァンのフセヴォローディチ兄弟との対立を抱えていた。
この内紛で、アレクサンドル・イヴァーノヴィチは父を支援して積極的にカーシン公やホルム公と戦う。
1402年、イヴァン・フセヴォローディチが死去。イヴァン・フセヴォローディチはホルム公領の一部を分領としていたが、アレクサンドル・イヴァーノヴィチがその遺領を獲得した。
1403年、トヴェーリ軍を率いてカーシンに侵攻。ヴァシーリイ・ミハイロヴィチを追ってカーシンを占領する。
1423年頃から北東ルーシに疫病(ペスト)が流行しはじめる。多くの諸公が倒れたが、1425年には父が罹患して死去。アレクサンドル・イヴァーノヴィチがトヴェーリ大公となった。
しかしわずか5ヶ月後、今度はアレクサンドル・イヴァーノヴィチ自身も疫病に倒れた。