イヴァン・アンドレーエヴィチ・ドルゴルーキイ «シバーン»
Иван Андреевич Догорукий "Шибан"
公 князь
生:?
没:1590.04.20/04.30
父:アンドレイ・セミョーノヴィチ・ドルゴルーキイ公 (セミョーン・ヴラディーミロヴィチ・ドルゴルーキイ公)
母:?
結婚:?
子:
名 | 生没年 | ||
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母親不詳 | |||
ダニイール | |||
フョードル |
第21世代。スヴャトスラーヴィチ(オーリゴヴィチ)。ロシア貴族。
数々の戦に従軍し、その勇敢さ故に、«シバーン» というあだ名で知られた。
早くも1543年にチェルニーゴフ総督。その後カザン遠征に従軍し、さらにポーロツク遠征、クリム・ハーンからの防衛戦などで活躍。特に後半生は南方での防衛の最前線に立ち、チェルニーゴフ(1578-84)、ヴォローネジュ(1589-90)の総督。その間にもカルーガやトゥーラでの防衛戦を指揮している。
叛乱コサックの融和に尽力するが、逆に殺された。