ロシア学事始ロシアの君主リューリク家人名録系図人名一覧

リューリク家人名録

フョードル・アンドレーエヴィチ・ノゴトコーフ=オボレーンスキイ

Федор Андреевич Ноготков-Оболенский

公 князь
ボヤーリン боярин

生:?
没:1608

父:アンドレイ・ヴァシーリエヴィチ・ノゴトコーフ=オボレーンスキイ公 (ヴァシーリイ・アンドレーエヴィチ・ノゴトコーフ=オボレーンスキイ公)
母:?

結婚:?

子:?

第21世代。スヴャトスラーヴィチ(オーリゴヴィチ)。ロシア貴族。

 1570年代から記録に登場。各地の総督や軍司令官を歴任する。

 1587年、トゥーラの第一総督。南方タタールの襲来に、モスクワから3箇連隊を率いてドミートリイ・フヴォロスティーニン公(ヤロスラーヴリ系)が総司令官としてモスクワから南下(総督も司令官もロシア語では «ヴォエヴォーダ воевода»。当時は軍事指揮権と地方施政権が不可分だった)。フョードル・アンドレーエヴィチとフヴォロスティーニン公はトゥーラ近郊で合流した。
 とうぜんそこから南下してタタール軍との戦いに向かうはずだったが、ここでフョードル・アンドレーエヴィチとフヴォロスティーニン公との間に門地制度(家柄に応じて官職の上下が決まる)上の論争が持ち上がり、両軍ともに動きが止まった。
 これを聞いたフョードル1世は、フヴォロスティーニン公に替えてイヴァン・ゴドゥノーフを総司令官として派遣。同時にフョードル・アンドレーエヴィチにも別の任を与えた。

 1588年以降もオドーエフ総督を筆頭に、南方各地で総督・軍司令官を歴任し、クリミア・タタールとの戦いに従事した。

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最終更新日 07 03 2013

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