アレクサンドル・ヴァシーリエヴィチ・カーシン=オボレーンスキイ
Александр Васильевич Кашин(-Оболенский)
公 князь
生:?
没:?
父:ヴァシーリー・ヴラディーミロヴィチ・オボレーンスキイ公 (ヴラディーミル・イヴァーノヴィチ・オボレーンスキイ公)
母:?
結婚:?
子:
名 | 生没年 | ||
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母親不詳 | |||
イヴァン |
第19世代。スヴャトスラーヴィチ(オーリゴヴィチ)。モスクワ大公の勤務公。
1508年、カルーガ公セミョーン・イヴァーノヴィチの勤務公としてその名が見られる。
1512年にアフマト=ギレイを迎え撃つために派遣され、1515年と19年にはリトアニアに軍を率いていて、南方と西方とで軍事行動に従事。1527年にもクリム・タタール軍からベリョーフ・オドーエフ・トゥーラ各都市を防衛。
その直後リャザニに派遣され、3年にわたってその統治と防衛を委ねられた。その後もベリョーフ、スタロドゥーブ、プロンスク、ムーロムなど各地に派遣されている。
1541年、クリミアに使節として派遣されるが、サヒブ=ギレイによって1年にわたり拘束された。