イヴァン・ヴァシーリエヴィチ・シュイスキイ
Иван Васильевич Шуйский
公 князь
ボヤーリン боярин (1532-)
生:?
没:1542.05.14
父:ヴァシーリイ・フョードロヴィチ・シュイスキイ公 (フョードル・ユーリエヴィチ・シュイスキイ公)
母:?
結婚:?
子:
名 | 生没年 | ||
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母親不詳 | |||
1 | アンドレイ | ||
2 | ピョートル | -1564 |
第19世代。モノマーシチ(スーズダリ系)。モスクワ大公の勤務公。
1507年から08年の対リトアニア戦争に従軍。1519年のポーロツク遠征、1523年のカザン遠征では軍を率いる。リャザニ(1512-14)、プスコーフ(1514-19)、スモレンスク(1520-23)の総督を歴任。
1533年のヴァシーリイ3世の死後、モスクワ大公国の実権は、幼帝イヴァン4世雷帝の母后エレーナ・グリンスカヤが握ってきた。エレーナ・グリンスカヤとスターリツァ公アンドレイ・イヴァーノヴィチが対立した際には、エレーナ・グリンスカヤの代理としてスターリツァに赴いて、アンドレイ・イヴァーノヴィチをモスクワに呼び寄せて交渉させている。
1538年、エレーナが死去。続いて実権を握った兄ヴァシーリイ・ネモーイもその年のうちに死ぬと、イヴァン・ヴァシーリエヴィチが権力を掌握。1540年、イヴァン・ベリスキイ公に実権を奪われるが、1542年、奪回。イヴァン・ベリスキイ公をベロオーゼロに追放する。しかしその直後に自らも死んだ。