アンドレイ・イヴァーノヴィチ・シュイスキイ
Андрей Иванович Шуйский
公 князь
ボヤーリン боярин (1584-)
生:?
没:1589−カルゴーポリ
父:イヴァン・アンドレーエヴィチ・シュイスキイ公 (アンドレイ・ミハイロヴィチ・シュイスキイ公)
母:?
結婚:?
子:?
第21世代。モノマーシチ(スーズダリ系)。ロシア貴族。ツァーリ・ヴァシーリイ4世の兄。
父が1573年に死ぬが、その直後からアンドレイ・イヴァーノヴィチはイヴァン・ツァレーヴィチの取り巻きとして名を現す。その後イヴァン雷帝に直接仕えるようになり、1580年頃から軍司令官として各地に派遣されるようになった。末期のリヴォニア戦争にも従軍している。
1584年にイヴァン雷帝が死んだ後、一族のイヴァン・ペトローヴィチとともにボリース・ゴドゥノーフと対立。失脚し、1587年にはカルゴーポリに追放された。殺されたと言われる。
ちなみに、シュイスキイ一族の中でこの時追放されなかったのは、弟ヴァシーリイ・イヴァーノヴィチだけ。