ユーリイ・コンスタンティーノヴィチ
Юрий Константинович
公 князь
生:?
没:?
父:コンスタンティーン・ロスティスラーヴィチ (ロスティスラーフ・ムスティスラーヴィチ)
母:?
結婚:?
子:
名 | 生没年 | ||
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母親不詳 | |||
1 | アレクサンドル・ネトシャ |
第14世代。モノマーシチ(スモレンスク系)。
父はアレクサンドル・ネフスキイの娘と結婚しているので(ほかの結婚相手も知られていないし)、常識的に考えればユーリイ・コンスタンティーノヴィチはアレクサンドル・ネフスキイの孫ということになる。
とすると、両親の結婚は1260年頃ではないかと想像されるので、ユーリイ・コンスタンティーノヴィチも1260年代の誕生ということになるだろうか。
父の生涯はほとんどわかっていない。どこの分領公だったかも不明で、まさか分領を持たなかったとも思えないが、歴代スモレンスク大公の次男坊以下の分領もよくわかっていないほどだから、ユーリイ・コンスタンティーノヴィチの分領について不明でも致し方あるまい。
しかし、あるいは本当に分領を持っていなかったのかもしれない。あるいは父は持っていても、ユーリイ・コンスタンティーノヴィチが何らかの理由で(父の死んだ時点でまだ幼少だったとか)継ぐことができなかったのかもしれない。と言うのも、かれの子孫はいずれも公の称号を失っている(認められていない)からである。
子のアレクサンドル・ユーリエヴィチは、ネトシン家、ドミートリエフ家、ドミートリエフ=マモーノフ家の祖。