ヴァシーリイ・ムスティスラーヴィチ
Василий Мстиславич
トルジョーク公 князь Торжский (1217)
生:?
没:1218
父:ガーリチ公ムスティスラーフ幸運公 (スモレンスク公ムスティスラーフ勇敢公)
母:ポーロヴェツ公女
結婚:?
子:?
第12世代。モノマーシチ(スモレンスク系)。
父の生年は1180年頃かとも言われるが、他方でもっと早かったともされる。しかしどちらであれ、姉妹の結婚相手の生年(姉妹自身の生年はやはり不明)からして、ヴァシーリイ・ムスティスラーヴィチの生年も1200年頃だったと考えてもいいだろう。
1216年、父がノーヴゴロド公となる。その後ヴラディーミル系一族との覇権争いに勝利し、伯父(?)ヴラディーミル・ムスティスラーヴィチもプスコーフを支配しており、スモレンスク系一族のノーヴゴロド支配は確固たるものとなっていた。
こうした状況下でヴァシーリイ・ムスティスラーヴィチがトルジョーク公として派遣されたということは、おそらくヴラディーミル・ムスティスラーヴィチが中核を担っていた対リトアニア戦や対リヴォニア戦の支援のためだろうと想像される。
もっともヴァシーリイ・ムスティスラーヴィチは、これといった活躍もしないうちに死んだ。生年についての想像が正しければ、まだ20歳にもなっていなかったはずである。
ノーヴゴロドの聖ソフィア大聖堂に葬られている。