ユーリイ・アレクサンドロヴィチ
Юрий Александрович
ウーグリチ公 князь Углицкий (1302-20)
ロストーフ公 князь Ростовский (1316-20)
生:?
没:1320.05.30
父:ウーグリチ公アレクサンドル・コンスタンティーノヴィチ (ロストーフ公コンスタンティーン・ボリーソヴィチ)
母:?
結婚:?
子:?
第15世代。モノマーシチ(ロストーフ系)。
1302年、祖父がサライにて再婚。この年、父も結婚した。この結婚から生まれた子であれば(父にほかに結婚の記録はない)、ユーリイ・アレクサンドロヴィチの生年は当然1303年以降ということになる。
祖父はそのままサライにとどまり、1307年頃にサライにて死んだらしい。父についてはよくわからないが、祖父に先んじていただろうと推定されている。ユーリイ・アレクサンドロヴィチは、おそらく5歳になったかならずかで祖父も父も亡くしたことになる。母に育てられたのだろうか(祖母もすでにない)。
祖父の死後、ロストーフ公位は叔父ヴァシーリイ・コンスタンティーノヴィチが継いだらしい。しかしおそらくウーグリチ公位は父の死後、ユーリイ・アレクサンドロヴィチが継いでいただろう。とはいえまだ幼く、実際の分領統治はボヤーリンたちがおこなっていたものと想像される。
ヴァシーリイ・コンスタンティーノヴィチの没年も不明だが、1316年まで生きていたのは確かである。その死後、ユーリイ・アレクサンドロヴィチがロストーフ公位も継いだようだ。ヴァシーリイ・コンスタンティーノヴィチには遺児もいたが、まだ幼年だったようだ。ユーリイ・アレクサンドロヴィチとてティーンエイジャーになったばかりだったろうが。
ウーグリチ公としてもロストーフ公としても、その事績は伝わっていない。生涯についての情報もほとんどない。没年がわかっているだけでもよしとすべきか。