ヴラディーミル・アンドレーエヴィチ
Владимир Андреевич
プスコーフ公 князь Псковский (1461-62)
ロストーフ(=ボリソグレーブスキイ)公 князь Ростовский(-Борисоглебский) (-1474)
生:?
没:?
父:ロストーフ公アンドレイ・アレクサンドロヴィチ (ロストーフ公アレクサンドル・コンスタンティーノヴィチ)
母:?
結婚:?
子:
名 | 生没年 | ||
---|---|---|---|
母親不詳と | |||
ドミートリイ | -1518 | ||
アレクサンドル | -1533 |
第18世代。モノマーシチ(ロストーフ系)。
父の没年は不明。ロストーフ=ボリソグレーブスキイ公位は父の後叔父たち、フョードルとイヴァンに継がれているが、イヴァン・アレクサンドロヴィチの没年も不明である。しかもその後誰がロストーフ=ボリソグレーブスキイ公位を継いだかもはっきりしない。
しかし当時はすでにロストーフにはモスクワ大公の代官が派遣されており、誰がロストーフ=ボリソグレーブスキイ公であろうと結局は名前だけの存在だったであろう。とすれば、誰がロストーフ=ボリソグレーブスキイ公を名乗ってもおかしくなかったと言える。
1461年、モスクワ大公イヴァン3世により、プスコーフ公とされる。と言っても、実体はモスクワ大公の代官でしかない。実際、父も叔父もやはりプスコーフにモスクワ大公の代官として派遣されていた。
ヴラディーミル・アンドレーエヴィチのプスコーフ公としての統治の詳細は不明だが、翌1462年には市民によってプスコーフを追われた。ヴラディーミル・アンドレーエヴィチはイヴァン3世のもとに赴いて、プスコーフ市民の不服従についてぶちぶちこぼしたらしい。
1474年、従兄弟のイヴァン長公とともに、ロストーフ=ボリソグレーブスキイ公領をイヴァン3世に売却した。これにより分領としてのロストーフの歴史は幕を閉じた。