ヴァシーリイ・コンスタンティーノヴィチ
Василий Константинович
ロストーフ(=ボリソグレーブスキイ)公 князь Ростовский(-Борисоглебский) (1365-75)
生:?
没:1375頃
父:ロストーフ公コンスタンティーン・ヴァシーリエヴィチ (ロストーフ公ヴァシーリイ・コンスタンティーノヴィチ)
母:マリーヤ (モスクワ公イヴァン1世・カリター)
結婚:?
子:?
第16世代。モノマーシチ(ロストーフ系)。
落とされることもあるが、おそらくコンスタンティーン・ヴァシーリエヴィチの年長の息子。
1365年に父が死去。父は晩年、ロストーフ公領のウスレティンスキイ側を領有する従兄弟のアンドレイ・フョードロヴィチとロストーフ全体の領有を巡って争っていたが、どうやら何の問題もなくヴァシーリイ・コンスタンティーノヴィチが父の死後ロストーフ公領のボリソグレーブスキイ側を継いだものと思われる。
しかしかれについては何もわかっておらず、年代記に記載されているのは、1375年にモスクワ大公ドミートリイ・ドンスコーイのトヴェーリ遠征に従軍したという事実だけ。
1375年頃に子なくして死んだと推測されている。