ロシア学事始ロシアの君主リューリク家人名録系図人名一覧

リューリク家人名録

ロマーン・ユーリエヴィチ

Роман Юрьевич

公 князь

生:?
没:1398

父:ベロオーゼロ公ユーリイ・ヴァシーリエヴィチスゴルスク公ヴァシーリイ・ロマーノヴィチ
母:?

結婚:?

子:

生没年
母親不詳
1フョードル
2イヴァン
3ヴァシーリイ

第17世代。モノマーシチ(ロストーフ系)。

 父は1380年にベロオーゼロ公となった。しかし、1389年にモスクワ大公ドミートリイ・ドンスコーイが死んだ時点で、ベロオーゼロ公領はモスクワ大公領となっていた。父の没年は不明だが、あるいはその死でベロオーゼロ公領がモスクワ大公領に併合されたということなのか。それとも武力で奪われたか、買収されたか。

 いずれにせよ、1386年にドミートリー・ドンスコーイがノーヴゴロドに攻め込んだ時、ノーヴゴロド軍の中にロマーン・ユーリエヴィチの名も見られる。すなわち、この年かそれ以前に、ロマーン・ユーリエヴィチはノーヴゴロドの勤務公となっていたということである。これはつまり、1386年までにベロオーゼロ公領がモスクワ大公領に併合されていたことを意味するのか。あるいは、ロマーン・ユーリエヴィチにはダヴィドという兄がいたらしいから、次男のかれが国を棄てたということだろうか。

 1393年、モスクワ大公ヴァシーリイ1世不在の隙をついて、ノーヴゴロド軍を率いてモスクワ大公領に侵攻。いくつかの都市を奪っている。
 1394年にはプスコーフに侵攻。

 1398年、シェロン河畔(ノーヴゴロド近郊)にて戦死。

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最終更新日 07 03 2013

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