聖ロマーン・ヴラディーミロヴィチ
Св. Роман Владимирович
ウーグリチ公 князь Углицкий (1261-85)
生:?
没:1285.02.03
父:ウーグリチ公ヴラディーミル・コンスタンティーノヴィチ (ロストーフ公コンスタンティーン賢公)
母:エヴドキーヤ (リャザニ公イングヴァーリ・イーゴレヴィチ)
結婚:
& アレクサンドラ
子:なし
第12世代。モノマーシチ(ロストーフ系)。
ヴラディーミル・コンスタンティーノヴィチの次男。『都市ウーグリチの歴史』では1285年に享年60歳で死んだとされているが、他方、イパーティイ年代記によれば両親の結婚は1232年。兄もいたことを考えると、ロマーン・ヴラディーミロヴィチの生年はせいぜい1235年前後だったろう。
1249年に父が死んだ時点で、ウーグリチは兄アンドレイが継いだ。ロマーン・ヴラディーミロヴィチも分領を受け取っただろうと思われるが、その点については一切不明。1261年、兄の死でウーグリチ公となった(と思われる)。
年代記にはかれが死んだことしか記されていない。
しかし『都市ウーグリチの歴史』はロマーン・ヴラディーミロヴィチについて述べており、それによれば病院や養老院を建設。領内の各都市・農村に15の教会を建立した。これにより、のちに聖者とされたのである。
かれの死でウーグリチはロストーフ公領に合併された。