ロシア学事始ロシアの君主リューリク家人名録系図人名一覧

リューリク家人名録

聖コンスタンティーン・フセヴォローディチ

Св. Константин Всеволодич

ヤロスラーヴリ公 князь Ярославский (1249-55/57)

生:?
没:1255・57

父:ヤロスラーヴリ公フセーヴォロド・コンスタンティーノヴィチロストーフ公コンスタンティーン賢公
母:マリーヤ (オレーグ・クールスキイ

結婚:?

子:?

第12世代。モノマーシチ(ロストーフ系)。フセーヴォロド・コンスタンティーノヴィチの次男。

 兄ヴァシーリイ・フセヴォローディチの生年が1229年とされているので、コンスタンティーン・フセヴォローディチの生年は1230年か30年代前半だったろう。父が死んだ1238年にはまだ幼く、記録が残っていないので何とも言えないが、おそらく自前の分領は与えられていないだろう。

 1249年、ヴァシーリイ・フセヴォローディチの死でヤロスラーヴリ公位を継ぐ。ただし兄が死んだ時点で、遺児ヴァシーリイ・ヴァシーリエヴィチがいた(生まれたばかりだったろうが)。この子がどうなったのかは一切不明。

 モンゴル軍との戦いで戦死。
 もっとも、コンスタンティーン・フセヴォローディチについては、年代記も家系図も沈黙している。「モンゴルとの戦いで戦死した」というのも、のちの聖者伝が述べているだけである。ゆえに、おそらくは、ヴァシーリイ・フセヴォローディチからフョードル黒公までの間のヤロスラーヴリについては正確なところは不明と言うべきだろう。

 ヤロスラーヴリの聖母教会に、兄の隣に埋葬されている。

 かれの死でヤロスラーヴリは、姪マリーヤ・ヴァシーリエヴナ公女が相続し、その夫、スモレンスク系のモジャイスク公フョードル黒公ヤロスラーヴリ公となった(女系による継承は珍しい)。

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最終更新日 07 03 2013

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