イヴァン・ミハイロヴィチ・カトィレフ=ロストーフスキイ
Иван Михайлович Катырев-Ростовский
公 князь
生:?
没:1641
父:ミハイール・ペトローヴィチ・カトィレフ公 (ピョートル・イヴァーノヴィチ・カトィレフ公)
母:?
結婚:
& タティヤーナ -1611 (フョードル・ニキーティチ・ロマーノフ)
子:なし
第23世代。モノマーシチ(ロストーフ系)。ロシア貴族。
1598年、父とともにボリース・ゴドゥノーフのツァーリ選出を承諾する証書に署名したのが、記録上の初出。ボリース・ゴドゥノーフによってストーリニクに任命された。
1608年、ツァーリのヴァシーリイ・シュイスキイが遠い親族のマリーヤ・ブイノーソフ=ロストーフスキイ公女と結婚した。これによりイヴァン・ミハイロヴィチはツァーリの縁続きになったが、なぜかヴァシーリイ・シュイスキイの疑惑を招き、トボーリスクの総督として、事実上左遷された。
1612年、モスクワに呼び戻される。全国会議では、義理の弟(妻の弟)のミハイール・フョードロヴィチのツァーリ即位を支持。しかし、すでにタティヤーナ・フョードロヴナを亡くしていたこともあってか、大した活躍もしていないようだ。何度か軍司令官として前線に派遣されたほか、ノーヴゴロドの総督に任じられている。
かれの死とともにカトィレフ=ロストーフスキイ公家は断絶した。