フョードル・ミハイロヴィチ
Федор Михайлович
ベロオーゼロ公 князь Белозерский (1293-1314)
生:?
没:1314
父:ベロオーゼロ公ミハイール・グレーボヴィチ (ベロオーゼロ公グレーブ・ヴァシリコヴィチ)
母:? (ヤロスラーヴリ公フョードル黒公)
結婚①:1302
& ? (タタール人)
結婚②:1314
& ? (ノーヴゴロドのボヤーリン、ドミートリイ・ジディミーロヴィチ)
子:?
第14世代。モノマーシチ(ロストーフ系)。
両親の結婚が1278年頃とされているので、フョードル・ミハイロヴィチの生年は1280年頃だろう。
1293年、父がサライで客死(おそらく)。フョードル・ミハイロヴィチが遺領を継いだ。
1302年、サライでタタール人の娘と結婚(つまりこの時点でサライに伺候していたということだ)。
1314年、2度目の結婚。しかしこの直後に死んだらしい。
フョードル・ミハイロヴィチについてわかっているのはこれですべてである。