アンドレイ・ドミートリエヴィチ・ロストーフスキイ
Андрей Дмитриевич Ростовский
公 князь
ボヤーリン боярин
生:?
没:1550/51
父:ドミートリイ・ヴラディーミロヴィチ・ロストーフスキイ公 (ロストーフ公ヴラディーミル・アンドレーエヴィチ)
母:?
結婚:?
子:なし
第20世代。モノマーシチ(ロストーフ系)。モスクワ大公の勤務公。
1515年、叔父アレクサンドル・ヴラディーミロヴィチとともにヴェリーキエ・ルーキに派遣され、ポーロツク遠征に従軍。
1519年にはノーヴゴロド・セーヴェルスキイのヴァシーリイ・シェミャーチチのもとに派遣される。当時はモスクワとリトアニアの戦争が続いていたので、戦場となっているセーヴェルスカヤ・ゼムリャーの防衛のためだったが、実際はヴァシーリー・シェミャーチチ監視のためだったと言われる(ヴァシーリイ・シェミャーチチは1523年に逮捕された)。
リャザニ総督(1531-32)を務めるなど、晩年のヴァシーリイ3世に信任されたようだ。
ヴァシーリイ3世の死後も、摂政となったエレーナ・グリンスカヤの下で活躍。ボヤーリンとなった正確な年月は不明だが、1534年か1535年だったと思われる。その後も各地の軍司令官などを歴任した。
1550年、イヴァン雷帝のカザン遠征に従軍。帰還後しばらくして死去。