ローグヴォロド・フセスラーヴィチ
Рогволод Всеславич
ポーロツク公 князь Полоцкий (1127-28)
生:?
没:1128?
父:ポーロツク公フセスラーフ・ブリャチスラーヴィチ (ポーロツク公ブリャチスラーフ・イジャスラーヴィチ)
母:?
結婚:?
子:?
第8世代。ポーロツク系。
学者の中には兄のドルツク系の始祖、ボリース・フセスラーヴィチと同一人物だと考える者が多い。グストィン年代記には「ポーロツクの公ローグヴォロド、またはボリース」とあり、これが根拠となっている。その場合、ローグヴォロドが異教風の世俗名、ボリースがキリスト教徒としての洗礼名ということになろう。
1127年、ポーロツク市民はダヴィド・フセスラーヴィチを追い、ムスティスラーフ偉大公の意向を容れてローグヴォロド・フセスラーヴィチをポーロツク公とした。
父の死後のポーロツク公位の継承は、フセスラーヴィチ兄弟の長幼の順ともからんで幾つかの説があってはっきりしない。
その一。長男ダヴィド(1101-27)、ローグヴォロド(1127-28)。
その二。長男ロマーン(1101-16)、次男グレーブ(1116-19)、三男ボリース(1119-27)、四男ダヴィド(1127)、ローグヴォロド(1127-28)。
その三。つまりはローグヴォロドとボリースとがイコールだとするならば、1127年、一旦位を追われたローグヴォロド/ボリースがまた公位に返り咲いた、ということだろう。
ローグヴォロドとボリースとが同一人物であったにせよそうでなかったにせよ、1127年か28年にはこの世を去った。