ブリャチスラーフ・ヴァシリコヴィチ
Брячислав Василькович
ヴィテブスク公 князь Витебский
ポーロツク公 князь Полоцкий?
生:?
没:?
父:ヴィテブスク公ヴァシリコ・ブリャチスラーヴィチ (ヴィテブスク公ブリャチスラーフ・ヴァシリコヴィチ)
母:? (スモレンスク公ダヴィド・ロスティスラーヴィチ)
結婚:?
子:?
名 | 生没年 | ||
---|---|---|---|
母親不詳 | |||
1 | アレクサンドラ/パラスケーヴァ | 1221-63 | アレクサンドル・ネフスキイ |
? | イジャスラーフ | ||
? | ヴァシリコ | ヴィテブスク |
第12世代。ポーロツク系(ヴィテブスク系)。
おそらくすべての学者が同意しているようだが、実はブリャチスラーフの父親がヴァシリコ・ブリャチスラーヴィチであるというのは仮説でしかない。年代記には、父称が記されていない。
この時期、ポーロツク系については年代記もほとんど何も伝えていない。ブリャチスラーフなどは名前が残っているだけでもラッキーである。
おそらく1221年頃に父の後を継いでヴィテブスク公となり、1232年頃にはポーロツク公となったのではないかと想像されている(1232年までスモレンスク系のスヴャトスラーフ・ムスティスラーヴィチがポーロツク公だった)。
かれの名が年代記に残っているのはほかでもない。1239年に娘パラスケーヴァがアレクサンドル・ネフスキイと結婚したからである。実はかれの名が年代記に登場するのはここだけ(のはず)。
すでに1243年には、ポーロツク公はリトアニア人のタウトヴィラスになっていた。