イヴァン・ムスティスラーヴィチ
Иван Мстиславич
コゼリスク公 князь Козельский
生:?
没:1238以前
父:チェルニーゴフ公ムスティスラーフ・スヴャトスラーヴィチ (チェルニーゴフ公スヴャトスラーフ・フセヴォローディチ)
母:マルファ
結婚:?
子:
名 | 生没年 | ||
---|---|---|---|
母親不詳 | |||
? | ヴァシーリイ | -1238 | コゼリスク |
第11世代。スヴャトスラーヴィチ(オーリゴヴィチ)。
かれについては事実上何もわからない。
両親の結婚が1182年とされているから、イヴァン・ムスティスラーヴィチの生年も1180年代と考えていいだろう(1190年代だったかもしれないが)。
父は1217年・19年にチェルニーゴフ公になったと考えられている。とすれば、この時にイヴァン・ムスティスラーヴィチにもどこかの分領が与えられておかしくない。もっとも、カルカ河畔で父とともに命を落としたヴァシリコ・ムスティスラーヴィチが兄であったと想像されるので、イヴァン・ムスティスラーヴィチにはまだこの時には分領が与えられていなかったかもしれない。
父も兄も1223年にカルカ河畔で戦死。少なくともこの時には、イヴァン・ムスティスラーヴィチはコゼリスク公になっただろう。
コゼリスク公であったヴァシーリイ(ただし息子かどうかははっきりしない)が1238年に死んでいるので、イヴァン・ムスティスラーヴィチは当然それ以前に死んでいただろう。