ロドスラーフ・オーリゴヴィチ
Родослав Ольгович
生:?
没:1407?
父:リャザニ大公オレーグ・イヴァーノヴィチ (リャザニ大公イヴァン・イヴァーノヴィチ・コロトポル)
母:エフフロシーニヤ (リトアニア大公アルギルダス)
結婚:?
子:?
第18世代。スヴャトスラーヴィチ(ムーロム系)。
リューリコヴィチとしては珍しい名前で、そのため古来、ロディスラーフ(これも珍しい)、ヤロスラーフ等、本当は別の名前だったのではないかとする推測が後を絶たない。
1387年、父によりサライに人質として派遣される。しかし何を考えたか逃亡し、このためキプチャク・ハーン軍が報復としてリャザニを蹂躙している。
1402年に父が死去。兄フョードル・オーリゴヴィチがリャザニ大公位を継いだ。しかしロドスラーフ・オーリゴヴィチがどこかを分領としてもらったような形跡は見られない。
いきさつはわからないが、1405年頃ロドスラーフ・オーリゴヴィチはリトアニアの捕虜となっていた。かれを買い戻すため、兄は3,000ルーブリを支払ったらしい。
没年は1407年とされるのが一般的なようだが、異説もあるようだ。