ミハイール・ヤロスラーヴィチ
Михаил Ярославич
プロンスク公 князь Пронский
生:?
没:1308以後
父:リャザニ大公ヤロスラーフ・ロマーノヴィチ (リャザニ公ロマーン・オーリゴヴィチ)
母:?
結婚:?
子:
名 | 生没年 | ||
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母親不詳 | |||
1 | アレクサンドル | -1340 | プロンスク |
第15世代。スヴャトスラーヴィチ(ムーロム系)。
1294年、父がプロンスク公からリャザニ大公に転身。1299年、父が死去。1301年、リャザニ大公位を継いでいた叔父コンスタンティーン・ロマーノヴィチがモスクワの捕虜となる。1308年、従兄弟ヴァシーリイ・コンスタンティーノヴィチが死去。
しかしミハイール・ヤロスラーヴィチの生年は1290年代かと想像されるので(根拠はない)、おそらく上記いずれの出来事にもかかわりは持たなかっただろう。
とはいえ、兄(?)イヴァン・ヤロスラーヴィチは1294年か99年にプロンスク公となっているし、1308年にはリャザニ大公となった。これに伴い、1308年、ミハイール・ヤロスラーヴィチがプロンスク公になったのではないかと考えられる。
没年は不明。と言うより、何もかも不明。