イヴァン・アレクサンドロヴィチ
Иван Александрович
リャザニ大公 великий князь Рязанский (1344-)
生:?
没:?
父:プロンスク公アレクサンドル・ミハイロヴィチ (ミハイール・ヤロスラーヴィチ)
母:?
結婚:?
子:?
名 | 生没年 | ||
---|---|---|---|
母親不詳 | |||
? | オレーグ | -1402 | リャザニ |
? | アナスタシーヤ | サルホミル |
第17世代。スヴャトスラーヴィチ(ムーロム系)。
実は素性ははっきりしない。
一般的に、1344年にリャザニ大公ヤロスラーフ・アレクサンドロヴィチが死んだ後、イヴァン & ヴァシーリイのアレクサンドロヴィチ兄弟が相次いでリャザニ大公位を継いだとされる。
しかしこのアレクサンドロヴィチ兄弟が、ヤロスラーフ・アレクサンドロヴィチの弟だったのかどうかが不明。一説には兄弟の父はミハイール・ヤロスラーヴィチの弟、つまりヤロスラーフ・アレクサンドロヴィチにとっては大叔父にあたる、とされる。とすればアレクサンドロヴィチ兄弟は、ヤロスラーフ・アレクサンドロヴィチの父の従兄弟ということになる。
いずれにしても、イヴァン・アレクサンドロヴィチの治世については何もわかっていない。その没年すら不明で、時にはそもそもイヴァン・アレクサンドロヴィチの治世それ自体がなかったことにされていることもある(Рыжов Константин. Монархи России. М., 2006)。