ロシア学事始ロシアの君主リューリク家人名録系図人名一覧

リューリク家人名録

ユーリイ・イヴァーノヴィチ

Юрий Иванович

ドミートロフ公 князь Дмитровский (1505-34)

生:1480.03.23
没:1536.03.23 (享年56)

父:モスクワ大公イヴァン3世大帝モスクワ大公ヴァシーリイ2世盲目公
母:ソフィヤ・パレオローグ (モレア僭主トマス・パライオロゴス)

結婚:なし

子:なし

第19世代。モノマーシチ(モスクワ系)。イヴァン3世の三男(ソフィヤ・パレオローグの次男)。

 1505年、父が死去。遺言により、ドミートロフを分領としてもらう。

 兄のモスクワ大公ヴァシーリイ3世には、1530年まで跡継ぎの男子が生まれなかった。このためヴァシーリイ3世は、弟たちに結婚を許さなかった。ユーリイ・イヴァーノヴィチは、結局死ぬまで結婚することはなかった。

 ユーリイ・イヴァーノヴィチについては、史料に奇妙な話が記されている。それによるとかれは、ドミートロフで、兄ヴァシーリー3世のスパイに取り囲まれていたという。兄との仲が特に悪かったのだろうか。
 それもあってか、ユーリイ・イヴァーノヴィチはリトアニアに逃亡しようとした。しかしイオシフ・ヴォロツキーの仲裁により、兄と和解した。

 1514年、スモレンスク攻囲に従軍。

 兄の死後の1534年、幼帝イヴァン4世の «摂政» となった母后エレーナ・グリンスカヤとその取り巻きに叛逆の疑いをかけられ、ボヤーリンたちとともに捕らえられる。獄死。死因は餓死らしい。
 クレムリンのアルハンゲリスキイ大聖堂に埋葬された。

▲ページのトップにもどる▲

最終更新日 07 03 2013

Copyright © Подгорный (Podgornyy). Все права защищены с 7 11 2008 г.

inserted by FC2 system