セミョーン・イヴァーノヴィチ
Семен Иванович
カルーガ公 князь Калужский (1505-18)
生:1487.03.21
没:1518.06.26 (享年31)
父:モスクワ大公イヴァン3世大帝 (モスクワ大公ヴァシーリイ2世盲目公)
母:ソフィヤ・パレオローグ (モレア僭主トマス・パライオロゴス)
結婚:なし
子:なし
第19世代。モノマーシチ(モスクワ系)。イヴァン3世の五男(ソフィヤ・パレオローグの四男)。
1505年、父が死去。カルーガ、ベジェツキイ・ヴェルフ、コゼリスクを分領としてもらう。
兄のモスクワ大公ヴァシーリイ3世には、1530年まで跡継ぎの男子が生まれなかった。このためヴァシーリイ3世は、弟たちに結婚を許さなかった。セミョーン・イヴァーノヴィチは、結局死ぬまで結婚することはなかった。
1511年、リトアニアへの逃亡を計画しているとして、兄ヴァシーリー3世にモスクワに召喚される。セミョーン・イヴァーノヴィチは府主教や兄弟たちに取り成しを依頼し、とりあえず罰を被ることは免れた。しかしボヤーリンたちを総入れ替えされてしまう。
1512年、クリミアのメングリ=ギレイ軍がカルーガに侵攻。セミョーン・イヴァーノヴィチはこれを迎え撃ち、オカー河畔の戦いで撃退した。
1514年、兄たちとともにスモレンスク攻囲に従軍し、これを奪取した。
クレムリンのアルハンゲリスキイ大聖堂に埋葬された。