ドミートリイ・イヴァーノヴィチ «ジールカ»
Дмитрий Иванович "Жилка"
ウーグリチ公 князь Углицкий (1505-21)
生:1481.10.06
没:1521.02.14 (享年39)
父:モスクワ大公イヴァン3世大帝 (モスクワ大公ヴァシーリイ2世盲目公)
母:ソフィヤ・パレオローグ (モレア僭主トマス・パライオロゴス)
結婚:なし
子:なし
第19世代。モノマーシチ(モスクワ系)。イヴァン3世の四男(ソフィヤ・パレオローグの三男)。
1500年、父によりリトアニアとの戦いに派遣される。オールシャを占領し、ヴィテブスクを焼き討ちした。しかしスモレンスク奪回には失敗。
1505年、父が死去。遺言により、ウーグリチを分領としてもらう。
兄のモスクワ大公ヴァシーリイ3世には、1530年まで跡継ぎの男子が生まれなかった。このためヴァシーリイ3世は、弟たちに結婚を許さなかった。ドミートリイ・イヴァーノヴィチは、結局死ぬまで結婚することはなかった。
1506年、兄ヴァシーリイ3世によりカザンに派遣される。総督フョードル・イヴァーノヴィチ・ベリスキイ公とともにメフメト=アミンと戦うが、大敗を喫する。ヴァシーリイ3世は新たにヴァシーリイ・ダニイーロヴィチ・ホルムスキイ公を派遣するが、ドミートリイ・イヴァーノヴィチはロストーフ公が駆けつけた段階で、ホルムスキイ軍の到着を待たずに再び攻撃を開始。再び大敗を喫し、ニージュニー・ノーヴゴロトに逃げ帰った。
1512年にも兄とともにスモレンスク遠征。しかしその後は、どうやら南方防衛にまわされたらしい。1514年にスモレンスクがついに陥落した時には、セールプホフにいた(クリム・ハーン軍のモスクワ襲来に備えて)。
クレムリンのアルハンゲリスキイ大聖堂に埋葬された。