アンドレイ・ヴラディーミロヴィチ
Андрей Владимирович
ラードネジュ公 князь Радонежский (1410-26)
生:?
没:1426
父:セールプホフ公ヴラディーミル勇敢公 (セールプホフ公アンドレイ・イヴァーノヴィチ)
母:エレナ (リトアニア大公アルギルダス)
結婚:
& ? (イヴァン・ドミートリエヴィチ・フセヴォロージュスキイ)
子:
名 | 生没年 | ||
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母親不詳 | |||
1 | アナスタシーヤ | ヴァシーリイ・コソーイ |
第16世代。モノマーシチ(モスクワ系)。
生年は不明。おそらくヴラディーミロヴィチ兄弟でも年少組だったと思われ、よって誕生は1390年代に入ってからだったろう。
1410年、父が死去。遺領はヴラディーミロヴィチ兄弟で分割されたと考えられる。一般的に、アンドレイ・ヴラディーミロヴィチはそのうち、ラードネジュを相続したとされている。
1414年、末弟ヴァシーリー・ヴラディーミロヴィチとともに、ガーリチ=メールスキイ公ユーリイ・ドミートリエヴィチのニージュニイ・ノーヴゴロド遠征に従軍。
1423年頃から始まった疫病(ペスト)の大流行にて死去。1427年頃に終息に向かうまでに、疫病はモスクワ大公ヴァシーリイ1世、3人のトヴェーリ大公、そしてヴラディーミロヴィチ5兄弟の命を奪った。
死に臨んで修道士サッヴァとなった。ただしこれは、同年、同じく疫病で死んだ兄セミョーン・ヴラディーミロヴィチのことだとも言われる。
クレムリンのアルハンゲリスキイ大聖堂に葬られた。