ロシア学事始ロシアの君主リューリク家人名録系図人名一覧

リューリク家人名録

ロスティスラーフ・ヴラディーミロヴィチ

Ростислав Владимирович

生:?
没:?

父:ドロゴブージュ公ヴラディーミル・マーチェシチキエフ大公ムスティスラーフ偉大公
母:?

結婚:?

子:?

生没年
母親不詳
?イジャスラーフ
?ロスティスラーフ
?ムスティスラーフ

第10世代。モノマーシチ。

 両親の結婚が1150年とされているので、ロスティスラーフ・ヴラディーミロヴィチの生年は1150年代だったろう。
 1171年、父が死去。父自身が弱小で、自前の分領を持たなかったので、おそらくロスティスラーフ・ヴラディーミロヴィチも分領など相続していないだろう。ヴラディーミロヴィチ兄弟の中で、このロスティスラーフがどこで何をしていたのか最もわからない。

 1192年、弟(?)スヴャトスラーフ・ヴラディーミロヴィチとともにポーロヴェツ人と戦う。

 この頃、トリポーリ公になったとする文献もある。当時キエフ公領(トリポーリもキエフ公領にあった)を牛耳っていたのは、キエフ大公スヴャトスラーフ・フセヴォローディチベールゴロド公リューリク・ロスティスラーヴィチで、さらにヴラディーミル大公フセーヴォロド大巣公が睨みを利かせていた。ヴラディーミロヴィチ兄弟のうち、ムスティスラーフスヴャトスラーフ・フセヴォローディチの、スヴャトスラーフリューリク・ロスティスラーヴィチの与党で、ヤロスラーフフセーヴォロド大巣公の娘婿だった。このような関係を考えると、ロスティスラーフ・ヴラディーミロヴィチがトリポーリ公になっていてもおかしくはない。

 1202年、ガーリチヴォルィニ公ロマーン偉大公リューリク・ロスティスラーヴィチを屈服させ、キエフの覇権を握る(すでにスヴャトスラーフ・フセヴォローディチは死んでいた)。ロスティスラーフ・ヴラディーミロヴィチは、この年を最後に記録から姿を消す。

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最終更新日 07 03 2013

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