ヴャチェスラーフ・ヤロポールチチ
Вячеслав Ярополчич
生:?
没:1104.12.13
父:ヴォルィニ公ヤロポルク・イジャスラーヴィチ (キエフ大公イジャスラーフ・ヤロスラーヴィチ)
母:クーニグンデ (オルラミュンデ伯オットー)?
結婚:?
子:?
第8世代。イジャスラーヴィチ。
母親は不詳。生年は不明。ヤロスラーフ・ヤロポールチチの項で考察したように、1070年代後半と推測される。
1099年、伯父スヴャトポルク・イジャスラーヴィチがガーリチのロスティスラーヴィチ兄弟と戦った時、「ふたりのヤロポールチチ」が従っていたという。おそらく兄ヤロスラーフとヴャチェスラーフのことだろう。もし生年についての推測が正しければ、ふたりはこの頃20歳になったばかり。キエフ大公でもある一族の最年長者の伯父につき従っていたというところだろう。
分領もわからない。一説には兄ヤロスラーフ・ヤロポールチチの跡を継いでブレスト公になったともされるが、兄がブレストを失ったのは1101年。しかもおそらくスヴャトポルク・イジャスラーヴィチに没収されたのではないかと思われ、ヴャチェスラーフ・ヤロポールチチにそのまま与えられたとも思われない。そもそもその場合、1101年までヴャチェスラーフ・ヤロポールチチは自前の分領を持たなかったということになる。
1103年、スヴャトポルク・イジャスラーヴィチやヴラディーミル・モノマーフに従い、対ポーロヴェツ人遠征に従軍。
年代記にヴャチェスラーフ・ヤロポールチチが登場するのは、こことあとは死亡記事のみ。