フセーヴォロド・ダヴィドヴィチ
Всеволодко Давыдович
グロドノ公 князь Городненский (1113-42)
生:?
没:1142.02.01
父:ドロゴブージュ公ダヴィド・イーゴレヴィチ (ヴラディーミル=ヴォルィンスキイ公イーゴリ・ヤロスラーヴィチ)
母:? (ポーランド王ヴワディスワフ1世・ヘルマン)
結婚:1116
& アガーフィヤ公女 (キエフ大公ヴラディーミル・モノマーフ)
子:
名 | 生没年 | ||
---|---|---|---|
アガーフィヤ・ヴラディーミロヴナと | |||
1 | ボリース | 1117-69 | グロドノ |
2 | グレーブ | グロドノ | |
3 | ムスティスラーフ | グロドノ | |
4 | ? | チェルニーゴフ公ヴラディーミル |
第8世代。
ただし、実は素性不詳。タティーシチェフ以来フセーヴォロドの父はドロゴブージュ公ダヴィド・イーゴレヴィチとされてきて、多くの学者もこれに従っているが、異説を唱える向きもある。たとえばヤロスラーフ・ヤロポールチチなどが父親として挙げられることがある(その場合、当然父称はヤロスラーヴィチであり、世代は第9世代となる)。
さらに言えば、グロドノがどこかについてもいくつかの説が提示されている。そもそも «ゴロドネンスキイ Городненский» というロシア語自体が «グロドノ» からつくられたものかどうかもはっきりしない。こんにちのグロドノ(現ベラルーシ西端)はかつては様々な名で呼ばれていたようだが、同時にそれ以外にも似たような名で呼ばれた都市はルーシ各地にあったし、あり得た。タティーシチェフ自身、当初はチェルニーゴフ近郊のゴロドニャのことと考えていたらしい。
ダヴィド・イーゴレヴィチの子であるとすれば、母はロスティスラーフ・ヴラディーミロヴィチの娘だろうか。ロスティスラーフ・ヴラディーミロヴィチは1066年に28歳で死んだと考えられるので、その娘の生年は1060年代であろう。ダヴィド・イーゴレヴィチはロスティスラーフ・ヴラディーミロヴィチの息子たちと1080年頃に行動をともにしていたので、あるいはその頃にその妹(?)と結婚したのだろうか。以上のような想定に従えば、フセーヴォロド・ダヴィドヴィチの生年は1080年代のことと思われる。
あるいは母は、ポーランド王女だろうか。ヴワディスワフ・ヘルマンは1070年代前半に私生児を生んでいるので、その娘の生年もそれ以降と考えていいだろう。父は1087年から99年までヴラディーミル=ヴォルィンスキイ公としてポーランドの隣国の主であったので、この時期であればいつポーランド王女と結婚していてもおかしくはない。その場合、フセーヴォロド・ダヴィドヴィチの生年は、1090年代以降と考えるべきだろう。ただし1116年に結婚をしたとされているので、1100年までには生まれていたに違いない。
1113年に父が死んでその遺領を相続したはずだが、フセーヴォロド・ダヴィドヴィチはドロゴブージュ公としてではなくグロドノ公としてしか知られていない。父の死でドロゴブージュを没収されたのか、あるいはその後いずれかの時期にグロドノと交換させられたのか。
1116年にヴラディーミル・モノマーフの娘と結婚している。有力諸公ではなかったとはいえ、どうやらヴラディーミル・モノマーフの与党として常にかれに従っていたようである。
なお、ポーランドの史料によれば、ポーランド王ボレスワフ3世曲唇王の娘が、1124年に «ムーロム公フセーヴォロド・ダヴィドヴィチ» の妃になったとされる。
歴代ムーロム公にフセーヴォロド・ダヴィドヴィチはおらず、ポーランド王女と結婚したとされる者もいない。1124年時点で存在したフセーヴォロド・ダヴィドヴィチはグロドノ公フセーヴォロド・ダヴィドヴィチだけであり、この史料が正しいとすれば、アガーフィヤ・ヴラディーミロヴナの死後にフセーヴォロド・ダヴィドヴィチはポーランド王女と再婚したということだろう。
ちなみに、この史料に基づいて、ムーロム=リャザニ公だったヤロスラーフ・スヴャトスラーヴィチが1123年にチェルニーゴフ公となった後、フセーヴォロド・ダヴィドヴィチがムーロム公になった、とする説がある。個人的にはこの説はあり得ないと思う。«ヴォーッチナ(父祖の地)» という概念が確立しつつあるこの時に、ムーロムを自身のヴォーッチナとしないフセーヴォロド・ダヴィドヴィチがムーロム公になるというのは考えづらい。まして時のキエフ大公ムスティスラーフ偉大公とヤロスラーフ・スヴャトスラーヴィチの関係が悪くなかったと思われるだけになおさらである(仲が悪ければ、懲罰的にヴォーッチナを没収して無関係な公に与えるということもあり得たかもしれないが)。その後もムーロムはヤロスラーフ・スヴャトスラーヴィチの子らが排他的に領有している。