セミョーン・ミハイロヴィチ
Семен Михайлович
グルーホフ公 князь Глуховский
生:?
没:?
父:グルーホフ公ミハイール・セミョーノヴィチ (グルーホフ公セミョーン・ミハイロヴィチ)
母:?
結婚:?
子:?
名 | 生没年 | ||
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母親不詳 | |||
? | ロマーン | ノヴォシーリ・オドーエフ | |
? | イヴァン |
第14世代。スヴャトスラーヴィチ(オーリゴヴィチ)。
家系図は、グルーホフ・ノヴォシーリ系の始祖であるセミョーンの息子として、ベリョーフスキイ家、ヴォロトィンスキイ家、オドーエフスキイ家の祖となったロマーンを挙げている。しかし1246年に父を亡くしたセミョーン・ミハイロヴィチと、1375年にトヴェーリ遠征に従軍したロマーンとが父子であったとは、常識的に考えられない。
このため、ロマーンの父であるセミョーンはセミョーン・ミハイロヴィチとは別人だったのではないかと考えられている。
史料には、ミハイールとその子セミョーンとが数箇所で言及されているが、ある箇所ではミハイールがチェルニーゴフ公とされていない。このことから、このミハイールとはチェルニーゴフ公であったミハイール・フセヴォローディチのことではなく、ゆえにその子セミョーンも、グルーホフ・ノヴォシーリ系の始祖であるセミョーン・ミハイロヴィチとは別人のことだったのではないかと考えることができる。こうして考え出されたのが、ミハイール・セミョーノヴィチであり、セミョーン・ミハイロヴィチである。
もっとも、ロマーンの父は、セミョーンはセミョーンでもセミョーン・アレクサンドロヴィチだったのではないかとする説もある。