ロマーン・イヴァーノヴィチ
Роман Иванович
オドーエフ公 князь Одоевский
ボヤーリン боярин (1533-)
生:?
没:1552
父:オドーエフ公イヴァン・セミョーノヴィチ (オドーエフ公セミョーン・ユーリエヴィチ)
母:?
結婚:?
子:
名 | 生没年 | ||
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母親不詳 | |||
ロマーン | |||
エヴドキーヤ | -1569 | スターリツァ公ヴラディーミル | |
ニキータ | -1573 | ||
アンナ | メゼツク公ボリース |
第19世代。スヴャトスラーヴィチ(オーリゴヴィチ)。モスクワ大公の勤務公。
1510年代からタタールとの戦闘に従事。トゥーラ、プティーヴリ、コゼリスクで総督、軍司令官を歴任する。特に1531年にはタタール軍の襲来から父祖の地オドーエフを護った。その後もトゥーラ、オドーエフ、ベリョーフ、コロームナ、ブリャンスクの総督を歴任。
1536年、幼君イヴァン雷帝の母后エレーナ・グリンスカヤと叔父スターリツァ公アンドレイ・イヴァーノヴィチが争った際には、母后の寵臣イヴァン・オフチーナ=テレプニョーフ=オボレーンスキイ公とともにスターリツァに侵攻。
一旦はヴラディーミル、ムーロムの総督となったが、再び南方防衛の任につき、セールプホフ、オドーエフ、カルーガ、ベリョーフの総督を歴任した。