ドミートリー・フョードロヴィチ
Дмитрий Федорович
ヴォロトィンスク公 князь Воротынский
生:?
没:?
父:ヴォロトィンスク公フョードル・リヴォーヴィチ (オドーエフ公レフ・ロマーノヴィチ)
母:マリーヤ (ノーヴゴロド=セーヴェルスキイ公カリブタス)
結婚:
& アンナ公女 (プリハプスキイ公コンスタンティーン・イヴァーノヴィチ・ドルツキイ=バービチ)
子:?
第18世代。スヴャトスラーヴィチ(オーリゴヴィチ)。
1483年、弟セミョーン・フョードロヴィチ、甥イヴァン・ミハイロヴィチとともに、リトアニア大公カジミエラスと協定を結ぶ。
1488年にその軍がメドィンスクを占領したとされているが、この時従軍した者の中にフョードル・ヴォルコーンスキイなる人物が挙げられている。おそらくヴォルコーンスキイ公家(トルーサ系オーリゴヴィチ)の誰かだろう。
1493年、モスクワ大公イヴァン3世大帝に仕える。この時、弟セミョーンの分領、貴族、その他をすべて奪ってイヴァン大帝に差し出している。その後も、モサーリスクを占領する等、リトアニア領の侵食に活躍した。