アレクサンドル・セミョーノヴィチ
Александр Семенович
ノヴォシーリ公 князь Новосильский
生:?
没:1326.09.15−サライ
父:グルーホフ公セミョーン・ミハイロヴィチ (チェルニーゴフ公ミハイール・フセヴォローディチ)
母:?
結婚:?
子:
名 | 生没年 | ||
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母親不詳 | |||
セミョーン | |||
セルゲイ |
第13世代。スヴャトスラーヴィチ(オーリゴヴィチ)。
キプチャク・ハーンにより処刑された。
トヴェーリ公ドミートリイ雷眼公と同日であるが、理由はわからない。ドミートリイ雷眼公はウズベク・ハーンの眼前でモスクワ公ユーリイ・ダニイーロヴィチを殺した罪で処刑されたのだが、あるいはアレクサンドル・セミョーノヴィチはこれにかかわっていたのか。
祖父とされるミハイール・フセヴォローディチの生年が1180年頃であり、父とされるセミョーン・ミハイロヴィチの生年は不明であるものの、伯父ロスティスラーフ・ミハイロヴィチが1220年代の生まれと考えられている以上、1326年に死んだアレクサンドル・セミョーノヴィチがその甥であったとは少々考えづらい。単純に考えて、セミョーン・ミハイロヴィチの子ではなく孫か曾孫だったのではないだろうか。かれの父称をセミョーノヴィチではなくミハイロヴィチとしている文献があったが、だとするとセミョーン・ミハイロヴィチの子ミハイール・セミョーノヴィチの子、ということになるのかもしれない(年代的にもその方が妥当だろう)。