ヴラディーミル・ヤロスラーヴィチ
Владимир Ярославич
ノーヴゴロド公 князь Новгородский (1036-52)
生:1020
没:1052.10.04
父:キエフ大公ヤロスラーフ賢公 (キエフ大公ヴラディーミル偉大公)
母:インゲゲルド (スウェーデン王オロフ課税王)
結婚:?
子:
名 | 生没年 | ||
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母親不詳 | |||
1 | ロスティスラーフ | -1066 | トムタラカーニ |
第6世代。ヤロスラーフ賢公の長男。
ガーリチ系の始祖。とはいえ、実際にガーリチを支配するようになるのは孫の代から。ゆえに厳密には、ガーリチ系の始祖は孫たちとすべきだろうが、ここでは便宜上、ヴラディーミル以下をガーリチ系としておく。
『原初年代記』によれば1036年、父によりノーヴゴロド公とされた。ただしどうも異説があるようで、1030年や1034年という数字をよく目にする。
1042年、南フィンランド地方に遠征。
1043年、父に、ビザンティン遠征に派遣される。ルーシとヴァリャーギの多くの軍勢を率いて南下。しかし海に出ると、嵐で多くの船が難破し、撤退を余儀なくされた。追いすがるビザンティン軍を破りつつ、キエフに帰還。
なお、この遠征にはのちにノルウェー王となるハーラル・シーグルソン(ハーラル3世苛烈王)も参加していたとする史料がある。ハーラルは1042年頃にヴァリャーギ親衛隊の司令官を辞任してコンスタンティノープルを去り、この時期はおそらくヤロスラーフ賢公のキエフに滞在していたと考えられる(この頃妹エリザヴェータと結婚した)。
1045年、ノーヴゴロドに石造りの聖ソフィヤ教会を建設。
父に先立って死去。死後は、自らの建てたノーヴゴロドの聖ソフィア教会に埋葬された。