ロスティスラーフ・ヴォロダーレヴィチ
Ростислав Володаревич
ペレムィシュリ公 князь Перемышльский (1124-29)
生:?
没:1129
父:ペレムィシュリ公ヴォロダーリ・ロスティスラーヴィチ (トムタラカーニ公ロスティスラーフ・ヴラディーミロヴィチ)
母:?
結婚:?
子:
名 | 生没年 | ||
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母親不詳 | |||
1 | イヴァン | -1161 | ズヴェニーゴロド |
第9世代。ガーリチ系。
ヴラディミルコ・ヴォロダーレヴィチの兄弟だが、長幼の順は不明。父の領土を継いだロスティスラーフ・ヴォロダーレヴィチが兄かとも思われる。
1124年、死因は不明ながら、父ヴォロダーリと叔父ヴァシリコが相次いで死去。ガーリチ(ガリツィア)はそれぞれの遺児ふたりにより、4つに分割されることになった。すなわち、ロスティスラーフ・ヴォロダーレヴィチがペレムィシュリ、ヴラディミルコ・ヴォロダーレヴィチがズヴェニーゴロド、イヴァン・ヴァシリコヴィチがテレボーヴリの半分(おそらくは都市ガーリチ)、グリゴーリイ・ヴァシリコヴィチがテレボーヴリである。
1127年、ヴォロダーレヴィチ兄弟間に内紛が勃発。ヴラディミルコがロスティスラーフをペレムィシュリから追おうとする。ロスティスラーフ・ヴォロダーレヴィチはズヴェニーゴロドを攻囲するが、守備するハンガリー軍に敗北して撤退。
キエフ大公ムスティスラーフ偉大公の仲裁で、兄弟は和解した。