ロスティスラーフ・イヴァーノヴィチ
Ростислав Иванович
生:?
没:1189
父:イヴァン・ロスティスラーヴィチ・ベルラードニク (ペレムィシュリ公ロスティスラーフ・ヴォロダーレヴィチ)
母:?
結婚:?
子:?
第11世代。ガーリチ系。
父は1161年頃にギリシャで死んだとされているが、ロスティスラーフ・イヴァーノヴィチの生年はまったく不明。
父が親族によってガーリチから追われていたため、ロスティスラーフ・イヴァーノヴィチも分領を持たなかった。父同様放浪の生活を送っていたのか。
1187年、ガーリチ公ヤロスラーフ・オスモムィスルが死去。遺児オレーグとヴラディーミルとの間に激しい争いが勃発。一旦はヴラディーミル・ヤロスラーヴィチが勝利を収めるが、土着貴族がかれに反発。これにヴラディーミル=ヴォルィンスキイ公ロマーン偉大公やハンガリーがからんできて、ガーリチは混乱状態に陥った。
当時、ロスティスラーフ・イヴァーノヴィチはスモレンスク公ダヴィド・ロスティスラーヴィチに庇護されていたと言われる。この時、ガーリチ貴族の一部にロスティスラーフ・イヴァーノヴィチを呼び戻そうとする勢力があった。決して大きな勢力ではなかったが、ロスティスラーフ・イヴァーノヴィチはガーリチに赴き、公位を目指して諸勢力と戦う。
ハンガリー軍との戦いで戦死したとも言われる。