ロシア学事始ロシアの君主リューリク家

ガーリチ系

リューリク家の分流の1。ガーリチを領有したのでガーリチ系と呼ばれるわけだが、ガーリチ(地方)の初期の主都がガーリチ(都市)ではなくペレムィシュリであった。このため、ペレムィシュリ系、あるいはペレムィシュリ=ガーリチ系などと呼ばれることもある。
 始祖ヴラディーミル・ヤロスラーヴィチ(6)は、ヤロスラーフ賢公(5)の長男。かれはノーヴゴロド公であり、その子ロスティスラーフ(7)はトムタラカーニ公であった。ここまではガーリチとは縁もゆかりもなかったので、通常このふたりはガーリチ系には含まないが、ここでは便宜上かれらも含めておく。

 ロスティスラーフ(7)の子であるリューリクヴォロダーリヴァシリコのロスティスラーヴィチ3兄弟(8)がそれぞれペレムィシュリ、ズヴェニーゴロド、テレボーヴリをもらい、ここにガーリチ支配が始まる。これもあって、この系統は時に «ロスティスラーヴィチ» と呼ばれることもある。
 また、この時期にはまだ都市ガーリチは記録に登場せず、この地域の統一的な名称も存在しなかった。兄弟にとっての中心都市は、上述のように、長男リューリク(8)の支配するペレムィシュリであり、これはヴラディミルコ・ヴォロダーレヴィチ(9)の時代まで続いた。かれの世代で一族の分領は4つに分かれて細分化の傾向を示したが、ヴラディミルコ・ヴォロダーレヴィチ(9)は幸運と武力でもって一族の分領を統一。一族と分領の分裂を回避した。かれがガーリチを主都としたため、以後この地域全体をガーリチ(公領・公国)と呼ぶようになる。
 その子ヤロスラーフ・オスモムィスル(10)の下でガーリチは最初の最盛期を迎える。しかしかれの死後、この系統によるガーリチ支配は急速に瓦解し、モノマーシチのヴラディーミル=ヴォルィンスキイ公ロマーン偉大公(11)によりガーリチを奪われた。
 記録の上では、かれらに末裔は存在しない。

 ヤロスラーフ・オスモムィスル(10)の従兄弟イヴァン・ベルラードニク(10)は波乱万丈の人生を送る。叔父ヴラディミルコ(9)により所領を奪われ、無法者たちを率いて «傭兵隊長» としてスヴャトスラーフ・オーリゴヴィチ(8)、ロスティスラーフ・ムスティスラーヴィチ(9)、ユーリイ・ドルゴルーキイ(8)、イジャスラーフ・ダヴィドヴィチ(8)に仕える。最終的にはポーロヴェツ人の仲間となり、かれらを率いてドナウを荒らしまわった。

 家系図はこちらの画像

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最終更新日 07 03 2013

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