ロシア学事始ロシアの君主ロマーノフ家人名録系図人名一覧

ロマーノフ家人名録

ジナイーダ・セルゲーエヴナ・ラシェフスカヤ

Зинаида Сергеевна Рашевская

生:1898.10.20/11.03/11.15(?)−ドヴィンスク
没:1963.01.20(享年64)−パリ(フランス)

父:セルゲイ・アレクサンドロヴィチ・ラシェフスキイ 1866-1904
母:ポリクセナ・バルトロメイ

結婚①:1916
  & エリセーエフ

結婚②:1919−ジェノヴァ
  & ボリース・ヴラディーミロヴィチ大公 1877-1943 (ヴラディーミル・アレクサンドロヴィチ大公

子:

生没年結婚相手
ボリース・ヴラディーミロヴィチ大公と
1

ロシア貴族。正教徒。
 父はロシア陸軍の工兵大佐。1904年、旅順港にて戦死。

 最初の夫エリセーエフとの結婚はすぐに破綻。いつ頃かは不明だが、1917年の革命前にジナイーダ・ラシェフスカヤはすでにボリース・ヴラディーミロヴィチ大公の愛人となっている。

 二月革命後、ジナイーダ・ラシェフスカヤはボリース・ヴラディーミロヴィチ大公とともに、その弟アンドレイ・ヴラディーミロヴィチ大公の療養していたキスロヴォーツクに逃亡。ボリース・ヴラディーミロヴィチ大公の母マリーヤ・パーヴロヴナ大公妃ボリース・ヴラディーミロヴィチ大公とジナイーダ・ラシェフスカヤのつきあいを(身分違い故に)認めなかったので、ジナイーダ・ラシェフスカヤは別の家に暮らした。
 1918年、ボリシェヴィキーの勢力が北カフカーズにも浸透してくると、ジナイーダ・ラシェフスカヤはボリース・ヴラディーミロヴィチ大公らとともに逃亡生活を送る。最終的に黒海沿岸に逃れ、1919年に海路イスタンブールへ。そこからイタリアに移り、ここでボリース・ヴラディーミロヴィチ大公と結婚する。
 以後、ジナイーダ・ラシェフスカヤとボリース・ヴラディーミロヴィチ大公はパリ近郊に暮らした。

 皇帝を自称する義兄キリール・ヴラディーミロヴィチ大公は、アンドレイ・ヴラディーミロヴィチ大公の妃マティルダ・クシェシニスカにクラーシンスカヤ公妃、ドミートリイ・パーヴロヴィチ大公の妃オードリー・エメリにイリインスキイ公妃、ガヴリイール・コンスタンティーノヴィチ公の妃アントニーナ・ネステローフスカヤにストレーリニンスカヤ公妃の称号を与えている。
 ところがなぜか、ジナイーダ・ラシェフスカヤには何の称号も与えず、一族として認めなかった。あるいはボリース・ヴラディーミロヴィチ大公が、兄が皇位を主張したのに無関心だったことと関係があるかもしれない。
 義母マリーヤ・パーヴロヴナ大公妃や夫ボリース・ヴラディーミロヴィチ大公と同じ Contrexéville に葬られたが、埋葬された場所はボリース・ヴラディーミロヴィチ大公の隣ではなく別の墓地だった。これもあるいはロマーノフ一族の意地悪だったのかもしれない。

 ちなみに姉ナターリヤ・セルゲーエヴナ(1893-1962)は女優。革命後もロシア・ソ連に残り、共産党政権から «人民女優» の称号をもらっている。

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最終更新日 07 03 2013

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