ヴィルヘルム1世
Wilhelm Friedrich Karl, Вильгельм
ヴュルテンベルク王 König von Württemberg (1816-)
生:1781.09.16/09.27−リューベン(シュレージエン、現ポーランド)
没:1864.06.12/06.24(享年82)−シュトゥットガルト近郊(ヴュルテンベルク、ドイツ)
父:フリードリヒ1世 1754-1816 ヴュルテンベルク公(1797-1805)・王(1805-16)
母:アウグスタ 1764-88(ブラウンシュヴァイク=ヴォルフェンビュッテル公カール2世)
結婚①:1808−ミュンヘン(1814離婚)
& シャルロッテ・アウグステ(カロリーネ) 1792-1873 (バイエルン王マクシミリアン1世)
結婚②:1816−サンクト・ペテルブルグ
& エカテリーナ・パーヴロヴナ大公女 1788-1819 (皇帝パーヴェル・ペトローヴィチ)
ゲオルク・フォン・オルデンブルク未亡人
結婚③:1820−シュトゥットガルト
& パウリーネ 1800-73 (ヴュルテンベルク公ルートヴィヒ)
子:
名 | 生没年 | 結婚相手 | |
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エカテリーナ・パーヴロヴナと | |||
1 | マリーア | 1816-87 | ナイペルク伯アルフレート |
2 | ゾフィーア | 1818-77 | オランダ王ウィレム3世 |
パウリーネと | |||
3 | カテリーナ | 1821-98 | フリードリヒ・フォン・ヴュルテンベルク |
4 | カール(ヴュルテンベルク王) | 1823-91 | オリガ・ニコラーエヴナ大公女 |
5 | アウグスタ | 1826-98 | ヘルマン・フォン・ザクセン=ヴァイマール |
ドイツの領邦君主フリードリヒ1世の第一子(長男)。ルター派。
イギリス王ジョージ4世(1762-1830)の妃カロリーネ(1768-1821)の甥で、イギリス女王ヴィクトリア(1819-1901)の又従兄弟。
ヴィルヘルムが生まれた時は、ヴュルテンベルク公は大伯父カール・オイゲン(1728-93)。カール・オイゲンにもその弟ルートヴィヒ・オイゲン(1731-95)にも子はなかったため、ヴィルヘルムは祖父フリードリヒ・オイゲン(1732-97)、父フリードリヒに次いで公位継承権第4位だった。とはいえ傍系であり、父もその妹ゾフィーア・ドロテーア(皇太子パーヴェル・ペトローヴィチ大公の妃)を頼ってサンクト・ペテルブルグにいたりした。ヴィルヘルムの誕生時にはプロイセン軍人としてシュレージエンに勤務していた。
ルートヴィヒ・オイゲン、祖父フリードリヒ・オイゲンの短い治世を経て、父フリードリヒがヴュルテンベルク公となったのが1797年。対仏大同盟から転じてナポレオンと同盟。1803年には選帝侯に、1805年には王に格上げしてもらった。代わりに1807年には妹カタリーナ(1783-1835)をナポレオンの弟ジェローム(1784-1860)に差し出すなどの屈辱にも甘んじた。
どうでもいい話だが、現存するボナパルト家はジェロームとカタリーナの子孫。
ヴィルヘルムは1800年に義勇兵としてオーストリア軍に加わってナポレオン軍と戦ったりしていたが、1803年から1806年まではフランスやイタリア(ここもナポレオンが支配)に暮らした。父との確執が原因だったらしい。父が王位を獲得したことで、ヴィルヘルムも帰国(王太子としての責務が生じたため)。
1812年にはヴュルテンベルク軍を率いてロシア遠征に従軍。しかし病気に罹り、ヴィリニュスで療養している間に大陸軍は敗退。結局ヴィルヘルム自身はロシア軍と戦うことなくシュトゥットガルトに帰還している。
1813年、父はナポレオンとの同盟を破棄して対仏大同盟に参加し(もともとナポレオンとの同盟も押し付けられたものだった)、ヴィルヘルムは再びヴュルテンベルク軍を率い、今度はナポレオン軍と戦う。
1808年、ヴィルヘルムは、同じくナポレオンから王にしてもらったバイエルン王マクシミリアン1世の娘シャルロッテと結婚。しかし子がなかったこともあり、1814年に離婚。
もっとも、1814年、ヴィルヘルムは進駐したパリでエカテリーナ・パーヴロヴナ大公女と出会い、彼女と結婚するためにシャルロッテと離婚した、とも言われる。
必ずしもリベラルでも進歩的でもなかったが、比較的バランスの取れた君主だった。もともとヴュルテンベルクはドイツ諸領邦の中でも最も議会の力が強かった国でもあり、ヴィルヘルムはうまく議会と協調しつつ政治を行った。
1819年には憲法を制定。1848年の三月革命でもヴュルテンベルクは静かなままだった。
農業に関心を持ち、«農民の王» などとも呼ばれた。
対外的にはメッテルニヒの保守反動に反対し、かつオーストリアとプロイセンという2大国の間で、バイエルンやバーデンと協調して中小領邦を結集させようと努力した。
エカテリーナ・パーヴロヴナ大公女もパウリーネも従姉妹。