ロシア学事始ロシアの君主ロマーノフ家人名録系図人名一覧

ロマーノフ家人名録

ヴラディーミル・キリーロヴィチ

Владимир Кириллович

公 князь императорской крови (-1924)
大公 великий князь (1924-)
ツェサレーヴィチ цесаревич (1924-38)
ロシア皇帝家の当主 Глава Российского Императорского Дома (1938-)

生:1917.08.17/08.30−ポルヴォー(フィンランド)
没:1992.04.21(享年74)−マイアミ(アメリカ)

父:キリール・ヴラディーミロヴィチ大公 1876-1938 (ヴラディーミル・アレクサンドロヴィチ大公
母:ヴィクトリヤ・フョードロヴナ大公妃 1876-1936 (エディンバラ公アルフレッド)

結婚:1948−ローザンヌ
  & レオニーダ・ゲオルギエヴナ公女 1914- (ゲオルギー・アレクサンドロヴィチ・バグラティオーン=ムフランスキイ公)
           サムナー・カービー夫人

子:

生没年結婚相手
レオニーダ・ゲオルギエヴナ公女と
1マリーヤ1953-プロイセン公フランツ・ヴィルヘルム

ヴラディーミロヴィチ。キリール・ヴラディーミロヴィチ大公の第三子(長男)。
 ルーマニア王カロル2世(1893-1953)の従兄弟。イギリス王エドワード8世(1894-1972)、ジョージ6世(1895-1952)の又従兄弟。

 二月革命後の混乱を避けて母が避難していたフィンランドで誕生。貧窮生活の中、ヴラディーミル・キリーロヴィチ公のミルクにも事欠くありさまだったと言う。
 その後、一家はコーブルクを経由してサン=ブリアック(ブルターニュ)へ。そこで育つ。

 1924年、父がロシア皇帝を自称。これに伴い、ヴラディーミル・キリーロヴィチ公には大公とツェサレーヴィチの称号が与えられた(それまでは皇帝の曾孫だったので公)。

 その後ヴラディーミル・キリーロヴィチ大公はイギリスにわたり、製鋼工として働く。

 1938年、父が死去。ヴラディーミル・キリーロヴィチ大公は父と違ってロシア皇帝を自称せず、«ロシア皇帝家の当主» とだけ名乗った。ロマーノフ家の大半と各国王家のほとんどがヴラディーミル・キリーロヴィチ大公の地位を認めた。
 ちなみに父の死後ブルターニュに土地を購入し、地主としての収入が生活を支えたらしい。

 第二次世界大戦中はサン=ブリアックに。ナチス・ドイツを、ソ連政権を倒しかれに皇位をもたらしてくれる存在とでも思ったのか、ヴラディーミル・キリーロヴィチ大公は比較的ナチスに協力的だった。もっとも逆に反ナチス派ドイツ軍将校と関係があったとも言われ、亡命ロシア人にナチスに協力する呼びかける布告を出すようナチスから迫られた時にはこれを断ったとされる。
 1944年、ナチスによりドイツに送られ、姉マリーヤ・キリーロヴナ公女の嫁ぎ先の所領アモルバハ(バイエルン)に。
 戦後はソ連の手を逃れるためオーストリアへ。その後は母方の叔母ガリエラ公妃ベアトリスの招きでマドリードへ。やがて再びパリとサン=ブリアックの双方に居住するようになる。

 1948年、レオニーダ・ゲオルギエヴナ公女と結婚。その2年前に自ら「バグラティオーン家はふさわしい家系(君主の家系)である」と認めていた。どの家系がふさわしい家柄か、を誰が決めるのか、帝政時代の国家基本法には明記されていないが、皇帝(ロマーノフ家の当主)の決定が最も相応しいのは言うまでもないだろう。
 ところが帝政時代にはバグラティオーン家は事実上単なる貴族として扱われており(ナポレオンと戦った将軍もそうだ)、少なくとも大半のロマーノフはそう認識しており、ヴラディーミル・キリーロヴィチ大公とレオニーダ・ゲオルギエヴナ公女の結婚を貴賎結婚と見なした。
 しかも生まれた子がマリーヤ・ヴラディーミロヴナだけであったため、ヴラディーミル・キリーロヴィチ大公はほかのロマーノフが全員貴賎結婚から生まれた子であるとして、1969年に彼女を自身の後継者とした(ちなみに王朝結婚から生まれたロマーノフ男子は、1989年のヴァシーリイ・アレクサンドロヴィチ公の死でヴラディーミル・キリーロヴィチ大公だけとなった)。
 これらの決定により、それまでヴラディーミル・キリーロヴィチ大公を支持していたロマーノフの中からも離反する者が現れた。

 1991年、自身生まれて初めてロシアを訪問。ロシア語で話しはしたが、訛りがきつかったらしい。

 アメリカ訪問中に心臓発作で死去。ペトロパーヴロフスカヤ要塞の «大公霊廟» に埋葬される(1915年のコンスタンティーン・コンスタンティーノヴィチ大公以来初)。

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最終更新日 07 03 2013

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