ニキータ・ニキーティチ・ロマーノフ
Никита Никитыч Романов, Nikita Romanov
公 князь
生:1923.05.13−ロンドン(イギリス)
没:2007.05.03(享年83)−ニューヨーク(アメリカ)
父:ニキータ・アレクサンドロヴィチ公 1900-74 (アレクサンドル・ミハイロヴィチ大公)
母:マリーヤ・イラリオーノヴナ 1903-97 (イラリオーン・イラリオーノヴィチ・ヴォロンツォーフ=ダーシュコフ伯)
結婚:1961−ロンドン
& ジャネット・アン 1933- (マイクル・ションワルド)
子:
名 | 生没年 | 結婚相手 | |
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ジャネット・アンと | |||
1 | フョードル | 1974-2007 | − |
ミハイロヴィチ。ニキータ・アレクサンドロヴィチ公の第一子(長男)。
両親の結婚は貴賎結婚にあたるため、本来ニキータ・ニキーティチは皇族としての権利を持たない。もっともそれを言ったら、ロマーノフの姓を名乗ることも公を称することもできないはず。
幼少時はフランスで過ごし、イギリスの学校に通う。第二次世界大戦ではイギリス陸軍に勤務し、1948年に両親とともにアメリカに移住。
UCバークレーを卒業。歴史学を専攻し、Ph. D. の持ち主。一時期はサンフランシスコ大学で歴史学を教える。
歴史学者であることもあってか、アレクサンドル・ケーレンスキイとつきあいがあった。
妻ジャネットは結婚に際し正教に改宗。セカンド・ネームにちなんで洗礼名をアンナ、父称をミハイロヴナとした。