マリーナ・ペトローヴナ
Марина Петровна
公女 княжна императорской крови
公妃 княгиня (1927-)
生:1892.02.28/03.11−ニース(フランス)
没:1981.05.15(享年89)−シ=フール=レ=プラージュ(フランス)
父:ピョートル・ニコラーエヴィチ大公 1864-1931 (ニコライ・ニコラーエヴィチ «スタールシイ» 大公)
母:ミリツァ・ニコラーエヴナ大公妃 1866-1951 (モンテネグロ王ニコラ1世)
結婚:1927−カープ・ダンティーブ(フランス)
& アレクサンドル・ニコラーエヴィチ公 1886-1974 (ニコライ・ドミートリエヴィチ・ゴリーツィン公)
子:なし
ニコラーエヴィチ。ピョートル・ニコラーエヴィチ大公の第一子(長女)。
皇帝ニコライ2世・アレクサンドロヴィチの又従姉妹。
父が結核を患っていた関係で、幼少期は多くを南仏やクリミアで過ごす。
若い頃から絵画に関心と才能を見せ、サンクト・ペテルブルグで本格的に学んでいる。
結婚話は出ていたようだが、結局実を結ぶ前に第一次世界大戦が勃発。
1915年に伯父ニコライ・ニコラーエヴィチ «ムラードシイ» 大公がカフカーズ総督に任命されると、マリーナ・ペトローヴナ公女も両親とともにカフカーズへ。成人に達していたマリーナ・ペトローヴナ公女はカフカーズ戦線で看護婦を務める。
ロシア革命後の運命は家族と共にする。
1926年、『La Légende tartare de Crimée(クリミア・タタールの伝説)』という本を出版(クリミア・タタール人の伝説を翻案したもの)。
1927年、結局35になってアレクサンドル・ゴリーツィン公と結婚。夫とともに南仏、トゥーロン近郊に住んだ。
ニースのロシア人墓地に埋葬されている。