ロシア学事始ロシアの君主ロマーノフ家人名録系図人名一覧

ロマーノフ家人名録

クセーニヤ・ゲオルギエヴナ

Ксения Георгиевна

公女 княжна императорской крови

生:1903.08.22/09.04−ミハイロフスコエ
没:1965.09.17(享年63)−グレン・コーヴ(ニューヨーク州、アメリカ)

父:ゲオルギイ・ミハイロヴィチ大公 1863-1919 (ミハイール・ニコラーエヴィチ大公
母:マリーヤ・ゲオルギエヴナ大公妃 1876-1940 (ギリシャ王ゲオルギオス1世 & オリガ・コンスタンティーノヴナ大公女

結婚①:1921−パリ(1930離婚)
  & ウィリアム・ベイトマン・リーズ 1902-

結婚②:1946−グレン・コーヴ
  & ハーマン・ジャド 1911-

子:

生没年結婚相手
リーズと
1ナンシー・ヘレン・マリー1925-2006エドワード・ジャドスン・ウィンクープ

ミハイロヴィチ。ゲオルギー・ミハイロヴィチ大公の第二子(次女)。
 皇帝ニコライ2世・アレクサンドロヴィチの又従姉妹。ギリシャ王ゲオルギオス2世(1890-1947)、アレクサンドロス1世(1893-1920)、パウロス1世(1901-64)の従姉妹。

 幼少時はミハイロフスコエで過ごすが、1905年に一家を挙げてクリミアへ。
 クセーニヤ・ゲオルギエヴナ公女も姉のニーナ・ゲオルギエヴナ公女もともに、皇帝ニコライ2世の下の娘たちともしばしば一緒に遊んだ(もっともその末娘アナスタシーヤ・ニコラーエヴナ大公女のことは姉妹ともに嫌っていたようだが)。

 1914年、第一次世界大戦勃発の直前に母に伴われてイギリスへ。戦争と革命により、二度と再び祖国の土を踏むことはなかった。
 同時に、父とも二度と会うことがなかった。クセーニヤ・ゲオルギエヴナ公女と姉のニーナ・ゲオルギエヴナ公女は父に可愛がられ、そのため父と不仲だった母とは疎遠だったとも言われる。

 母とともに、その祖国アテネに。アメリカ人リーズとの結婚後は、その実家ニューヨーク州とカンヌとを行ったり来たりした。第二次世界大戦で最終的にアメリカに落ち着く。

 1927年、アメリカにやってきたアンナ・アンダースンをニューヨーク州の家に招き、アナスタシーヤ・ニコラーエヴナ大公女と認める。

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最終更新日 07 03 2013

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