キーラ・キリーロヴナ
Кира Кирилловна
公女 княжна императорской крови (-1924)
大公女 великая кнаяжа (1924-)
プロイセンのプリンセス Prinzessin von Preußen (1938-)
生:1909.04.26/05.09−パリ(フランス)
没:1967.09.08(享年58)−サン=ブリアック(フランス)
父:キリール・ヴラディーミロヴィチ大公 1876-1938 (ヴラディーミル・アレクサンドロヴィチ大公)
母:ヴィクトリヤ・フョードロヴナ大公妃 1876-1936 (エディンバラ公アルフレッド)
結婚:1938−ポツダム
& ルイ・フェールディナント 1907-94 (ドイツ皇太子フリードリヒ・ヴィルヘルム)
子:
名 | 生没年 | 結婚相手 | |
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ルイ・フェールディナントと | |||
1 | フリードリヒ・ヴィルヘルム | 1939- | ヴァルトラウト・フライダーク |
エーレンガルト・フォン・レーデン | |||
2 | ミヒャエル | 1940- | ユッタ・ヨルン |
ブリギッテ・フォン・ダルヴィッツ=ヴェグナー | |||
3 | マリー・ツェツィーリア | 1942- | オルデンブルク公フリードリヒ・アウグスト |
4 | キラ | 1943- | トーマス・リープスナー |
5 | ルイ・フェールディナント | 1944-77 | ドナータ・フォン・カステル=リューデンハウゼン |
6 | クリスティアン・ジギスムント | 1946- | ニーナ・フォン・レーヴェントロウ |
7 | クセニア | 1949-92 | ペール=エドヴァルト・リタンデル |
ヴラディーミロヴィチ。キリール・ヴラディーミロヴィチ大公の第二子(次女)。
ルーマニア王カロル2世(1893-1953)の従姉妹。イギリス王エドワード8世(1894-1972)、ジョージ6世(1895-1952)の又従姉妹。
キーラ・キリーロヴナ公女は、両親が «追放» 生活を送っていたパリで誕生。しかし教父には皇帝ニコライ2世も名を連ねている。
キーラ・キリーロヴナ公女の誕生した年に、父の権利がニコライ2世により回復され、パリからサンクト・ペテルブルグにお引っ越し。
革命後、フィンランド、コーブルクを経由してサン=ブリアック(フランス)に落ち着く。
1924年、父がロシア皇帝を自称。キーラ・キリーロヴナ公女に大公女の称号が与えられた。
美術に関心が深く、サン=ブリアックではアート・スタジオで働いた。
アストゥリアス公アルフォンソ(スペイン王太子、のち、血友病を理由に王位継承権を放棄)などとの結婚話が進んだこともあったが実らず、28にしてルイ・フェールディナントと結婚。革命後、どこからも文句の出ようのない «ふさわしい家系» の相手と王朝結婚をした唯一の例である。
ルイ・フェールディナントはルター派であったが、キーラ・キリーロヴナ公女は結婚後も正教徒にとどまった。ちなみに、キーラ・キリーロヴナ公女(に限らず大抵のロマーノフ)はドイツ語も学んでいたので、ふたりはドイツ語で話した。
ベルリン近郊に住んだ。
ルイ・フェールディナントはもともと次男で、そのため後継ぎ教育を受けず、一時はアメリカはデトロイトで自動車産業(特にエンジニアリング)に関心を抱きフォードで働く。1933年に兄ヴィルヘルムが皇位継承権を放棄したために帰国し後継ぎとされた。しかし兄と違って軍人にならず、ルフトハンザに就職した。ちょうどこの年ヒトラーが政権を握ったが、ヨーロッパ各国の王族にナチス・シンパが多かった中で(ホーエンツォレルン家も例外ではなかった)、ルイ・フェールディナントはナチスから距離を置いていた。
しかしいつまでもそうは言っておられず、キーラ・キリーロヴナ公女と結婚した時点ではドイツ空軍の軍人になっていた。
第二次世界大戦では、もともと公然とナチスに批判的だったこともあり、ルイ・フェールディナントは前線に送られなかった(ドイツ皇帝家の当主の嫡男を旗印に叛乱を起こされることを怖れたとも言われる)。それもあって、ルイ・フェールディナントは1941年には退役。以後、キーラ・キリーロヴナ公女と東プロイセンの所領で静かにしていた。
しかし1944年には風向きが変わる。ウクライナを、次いでベラルーシとバルト三国を解放したソ連軍がプロイセンとポーランドに殺到。1945年の年明けとともにダンツィヒ(グダニスク)、ゴルツォウ経由でポツダムへ。さらにソ連軍のベルリン侵攻を避けてバート・キッシンゲンへ。最終的にはブレーメン近郊に落ち着いた。
結婚直後からふたりの生活は第二次世界大戦に翻弄されたが、キーラ・キリーロヴナ公女とルイ・フェールディナントは互いに愛し合い、幸せな夫婦関係を築いた。
ルイ・フェールディナントは、父の死後プロイセン王家当主(1951-94)。
ジグマリンゲンのホーエンツォレルン家代々の墓所に埋葬されている。