カール1世
Karl Friedrich Alexander, Карл
ヴュルテンベルク王 König von Württemberg (1864-)
生:1823.02.21/03.06−シュトゥットガルト(ヴュルテンベルク、ドイツ)
没:1891.09.25/10.06(享年68)−シュトゥットガルト(ヴュルテンベルク、ドイツ)
父:ヴィルヘルム1世 1781-1864 ヴュルテンベルク王(1816-64)
母:パウリーネ 1800-73 (ヴュルテンベルク公ルートヴィヒ)
結婚:1846−ペテルゴーフ
& オリガ・ニコラーエヴナ大公女 1822-92 (皇帝ニコライ1世・パーヴロヴィチ)
子:なし
ドイツの領邦君主ヴィルヘルム1世の第四子(長男)。ルター派。
テュービンゲン大学、ベルリン大学で学ぶ。
父の政策を引き継ぎ、1866年の普墺戦争ではプロイセンに反発してオーストリア側に立つ。しかしわずか一週間で戦闘が終わってしまったため、実際に砲火を交えることはなかった。
その後プロイセンを中心に高まったドイツ統一熱には逆らえず、普仏戦争(1870-71)ではヴュルテンベルク軍をプロイセンに差し出し、1871年のドイツ統一に参加した。
もっとも、ヴュルテンベルクはもともと議会の力の強い国で、カール1世も基本的に(特に内政面で)議会と協調している。政治信条的にはリベラルで、ヨーゼフ・フォン・リンデンやカール・フォン・ファルンビューラーといったリベラル政治家を登用して政治を委ねた。
同性愛者として知られ、何人かの男性との関係がスキャンダルとなった。特に知られているのがアメリカ人チャールズ・ウッドコックで、カールがかれを1888年に男爵としたことが方々から攻撃の的となった。
どうでもいいが、同じくドイツ統一時に君主だった隣国のバイエルン王ルートヴィヒ2世(1845-86)も同性愛者として知られる。
それもあってか、子はなかった。このため1863年にオリガ・ニコラーエヴナ大公女の姪ヴェーラ・コンスタンティーノヴナ大公女を引き取り、愛情を注ぐ。1871年には正式に養女とした。