イヴァン・フョードロヴィチ・コーシュキン
Иван Федорович Кошкин
生:?
没:1427?
父:フョードル・アンドレーエヴィチ・コーシュカ -1407 (アンドレイ・イヴァーノヴィチ・コブィラ)
母:?
結婚:?
子:
名 | 生没年 | 結婚相手 | |
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母親不詳 | |||
1 | イヴァン | ||
2 | フョードル・ブレフ | ||
3 | ヤーコフ・カザーク | ||
4 | ザハーリイ | -1461 |
フョードル・コーシュカの長男(?)。
父は1407年頃に死んだと考えられるが、1408年、モスクワに侵攻したエディゲイが去り際にヴァシーリイ1世に書簡を残している。「オルダー(キプチャク・ハーン国のこと)における良き事はフョードル・コーシュカに由来した。しかしその時代は去り、いま汝にはその息子イヴァンがいるが、汝は長老たちの言葉を聞こうともせず、ゆえにこのような災厄に見舞われるのだ」みたいなことが書かれている。
家系図にもかれはヴァシーリイ1世(1389-1425)とヴァシーリイ2世(1425-62)のボヤーリンだったとされているが、父の死後その地位を継いでヴァシーリイ1世の側近として仕えたということだろう。ただしその政策は、若者にありがちな野心的な、あるいは拡張主義的なものであったようだ。