エカテリーナ・ヨアーノヴナ
Екатерина Иоановна(Ивановна)
公女 княжна императорской крови
生:1915.07.12/07.25−パーヴロフスク
没:2007.03.13(享年91)−モンテビデオ(ウルグアイ)
父:ヨアン・コンスタンティーノヴィチ公 1886-1918 (コンスタンティーン・コンスタンティーノヴィチ大公)
母:エレーナ・ペトローヴナ公妃 1884-1962 (セルビア王ペータル1世)
結婚:1937
& ノビーレ・ルッジェーロ 1909-70 (ファラーチェ・ディ・ヴィッラフォレスタ侯)
子:
名 | 生没年 | 結婚相手 | |
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ノビーレ・ルッジェーロと | |||
1 | ニコレッタ | 1938- | |
2 | フィアメッタ | 1942- | |
3 | ジョヴァンニ | 1943- |
コンスタンティーノヴィチ。ヨアン・コンスタンティーノヴィチ公の第二子(長女)。
ユーゴスラヴィア王アレクサンダル1世(1888-1934)の姪。ギリシャ王パウロス1世(1901-64)の又従姉妹。
革命前に生まれた最後のロマーノフにして、革命前に生まれて最後まで生き残ったロマーノフ。
1918年、父がボリシェヴィキーにより国内流刑に処され、母が父を追ってウラルへいくと、エカテリーナ・ヨアーノヴナ公女は兄フセーヴォロド・ヨアーノヴィチ公とともに祖母エリザヴェータ・マヴリーキエヴナ大公妃に預けられる。その後、祖母に連れられてスウェーデンに国外脱出。ストックホルムで母と再会したのはさらに数ヶ月後であった。
当初は母の実家セルビアに、その後さらにフランス、イギリスにと住居を転々とする。
イタリアの外交官であった夫との結婚を契機にイタリアに移住。1945年、家族とともに南米に移住。
ちなみに、ロシア語は話せなかったらしい。