アルテーミイ・ニコラーエヴィチ・イスカンデル
Артемий Николаевич Искандер
生:1881
没:1919(享年38?)−タシュケント?
父:ニコライ・コンスタンティーノヴィチ大公 1827-92 (コンスタンティーン・ニコラーエヴィチ大公)
母:ナデージュダ・アレクサンドロヴナ 1861-1929 (アレクサンドル・ドレイエル)
結婚:なし
子:なし
コンスタンティーノヴィチ。ニコライ・コンスタンティーノヴィチ大公の第一子(長男)。
皇帝ニコライ2世・アレクサンドロヴィチの又従兄弟。ギリシャ王コンスタンティノス1世(1868-1923)の従兄弟。
1900年、皇帝ニコライ2世の勅許により、サンクト・ペテルブルグのニコラーエフ騎兵学校に入学を許された。卒業後、重騎兵連隊に勤務した。
第一次世界大戦では前線へ。
エレーナ・ブラヴァツキーの «信者» となる。
革命後の動向に関しては、いくつかの矛盾する話が流布している。
ボリシェヴィキーに共感し、その隊列に加わって、タシケントでチフスで死んだという説もある。
その一方で、弟と同様に白衛軍に加わって戦死したとも言われる。