アンナ・ミハイロヴナ
Анна Михайловна
ツァレーヴナ царевна
生:1630.07.14/07.24−モスクワ
没:1692.10.27/11.06(享年62)−モスクワ
父:ツァーリ・ミハイール・フョードロヴィチ 1596-1645
母:ツァリーツァ・エヴドキーヤ・ルキヤーノヴナ 1608?-45 (ルキヤーン・ステパーノヴィチ・ストレーシュネフ)
結婚:なし
子:なし
ツァーリ・ミハイール・フョードロヴィチの第四子(三女)。ツァーリ・アレクセイ・ミハイロヴィチのすぐ下の妹。
受けた教育と言えば、読み書きと手芸程度。
ちょうどアンナ・ミハイロヴナの生まれた頃、クレムリン内にテレムノーイ宮殿が建てられた。姉イリーナ・ミハイロヴナとアンナ・ミハイロヴナとが、テレムノーイ宮殿の外で生まれた最後となる(女性がテーレムから解放されるまで)。
以後、ロマーノフ家の女性たちは、ときたま教会や修道院などに行く以外は、生涯のほとんどをこの中で送ることになる。アンナ・ミハイロヴナも例外ではなく、ツァーリ・アレクセイ・ミハイロヴィチの妹ということで敬われはしたが、姉と同じく行かず後家としてテレムノーイ宮殿内で静かな人生を送った(妹タティヤーナ・ミハイロヴナと違い政治には一切口出しをしなかった)。
1692年、死の直前にクレムリン内のヴォズネセンスキイ修道院で修道女となる(修道名アンフィーサ)。
ヴォズネセンスキイ修道院に埋葬された(ソ連時代に取り壊されたため、現在はアルハンゲリスキイ大聖堂に眠る)。